※アイキャッチ画像提供:Fuji Television Headquarters Building Dick Thomas Johnson(Flickr)
今、お台場が熱い。
ゆりかもめの車窓からうかがえるかつて日本を代表する建築家・丹下健三氏の力作だったFCGビルのライトアップは虚しく灯っている。
何を隠そう、今まさに日本のマスコミ、政治、行政、芸能界、スポーツ業界までもがフジテレビを震源地に揺れに揺れている。
さらにその渦中にあるのはフジテレビの代表取締役相談役の「日枝久」氏その人だ。
かつてフジテレビを支配していた鹿内一族三代にクーデターを企て、フジのあるべき姿を取り戻そうとした男が、いま、鹿内一族と同じ権力を持ち、院政を敷くことで政治とメディアの橋渡し役という巨大権力を手にしていた。
フジテレビの成長は他局と比べると浮き沈みの激しいものであったが、政界や文化界と密接な関係をむすんでいた 「日本のメディア王」といえば日枝久であると、記者たちは口をそろえて言うだろう。
そしていま、フジテレビ並びにフジサンケイグループはその権力を追放するか、維持するかの岐路に立たされている。
成功体験を過信したシャープ
実はこの騒動、かつて多くの企業が経験した過程をそのまま辿っている。
「液晶のシャープ」がその典型例である。
シャープはかつて液晶事業で輝かしい成功を収めた。
「亀山モデル」とされた生産ラインは日本国内の液晶パネル市場に大きな影響を及ぼした。
しかし、シャープは2008年のリーマンショックからくる大不況を読めなかった。シャープは当時大型液晶テレビを売り出そうと躍起になっていたが、その頃には安価で手軽なサムスン電子が台頭してきたのだ。
日本の経営者は「高品質高価格」を維持すれば利益を出せると考えていたが、それは誤りだった。

人々が何を求めているのか、そして競合他社がどのようなものを作っているのかの分析を見誤り、自身の成功体験を過信していた。
その結果、高品質高コスト低価格という最悪の選択をひっさげながら、世界市場の争いに巻き込まれていき、2015年の経営危機を経て、台湾企業に事業が買収された。
2024年には「世界の亀山モデル」と称賛されたラインで作られていた「テレビ向け液晶パネル」は生産が終了した。
台湾企業もまたシャープの成功体験を過信していたかもしれない。高品質な液晶パネルがいくらあろうと、続々と現れる中国と韓国の低価格テレビに敵うことはついになかった。
シャープに何が起きていたのだろうか?
「現状維持バイアス」である。
シャープは過去の成功体験から「今回も同じように成功できる」という経営上の過信を20年も引きずって来たのだ。
現状維持バイアスとは?
現状維持バイアス(Status Quo Bias) とは、
人間が現在の状態を維持しようとする心理的傾向のこと
現状維持バイアス
を指します。
変化を避けることでリスクや不確実性を回避しようとする一方で、これが意思決定を誤らせたり、適応の遅れを招くことがあります。
現状維持バイアスの特徴としては、
変化を恐れる心理
「今のままで特に問題ないから、変える必要はない」
リスク回避行動
「新しいやり方を試すと失敗するかもしれないから、従来通りでいい」
損失回避の意識
「変えることで何かを失うかもしれないなら、何もしない方が安全」
過去の成功体験への固執
「昔からこの方法で成功してきたから、今後も変えなくていい」
このような心理が働きます。
たとえ百戦錬磨の経営者でも、簡単に陥りやすい心理傾向といえるでしょう。
社員に襲い掛かる「現状維持バイアス」
バイアスが生じるのは、経営者だけではありません。
こうしたバイアスは元々、人間誰しもが抱える心理的な問題です。
例えば、多くの人が「投資よりも、貯蓄を選択する」、「転職よりも、在職を選択する」傾向にあります。
転職をためらう理由は、「今の仕事に不満はあるが、新しい職場でも適応できないかもしれないし、出世できないかもしれない」というリスクが存在するからです。
結果的に、現状維持バイアスに陥った人は、より良い職場環境を得るチャンスを逃し、ストレスを抱え続けてしまうでしょう。
投資を避ける理由は、「銀行預金の利息は低いけれども、投資は難しそうだし、失敗した時が怖い」と考えてしまうからです。
結果的に、資産が増えないまま時間が経過し、将来の安定を逃してしまうケースがあります。



不健康な生活習慣もその一つです。
食生活が乱れてしまい、運動不足だと自覚していますが、それを改善しようとしない心理は「現状維持バイアス」といえます。
改善しない結果、体調が悪化し、病気のリスクが高まるにもかかわらず、です。
フジテレビの社員の方々はどうなのでしょうか?
ワンマン経営者がトップに君臨する場合、何よりも遅れるリスクは「職場の人間関係」です。
実際、経営陣や社員によってそれぞれ異なる権限が与えられているのならば、健全な企業体といえるでしょう。
経営陣は実力で決まり、かといってトップに忖度せずに革新と成長を志向するのは、企業の健全なありかたです。
社員は抑圧ではなく、自由な裁量とその時々の上下関係によって秩序を保ちながら、働くことができます。
多くが実力と自由です。



しかし、トップが長期に権力を持っている場合はそうではありません。
経営陣は実質的に入れ替わらることがなく、固定化されていき、多くがトップに忖度する人物で構成されます。
するとトップの「鶴の一声」が社員を窮地に陥れ、経営陣も、他の社員も、その人物を無視するようになるでしょう。まるで腫物に触れるかのように、見向きもしないのです。
もし、トップが気に入らない人間の味方をすれば、今度は自分が「孤立する」。
すると窮地に陥った社員の味方は誰もいなくなります。



しかも、それが長期にわたって常態化すれば、やがて「変えなくても、トップに気に入られればよい」と考えるようになり、「現状維持バイアス」が醸成されていきます。
ワンマン経営の恐ろしい構造です。
それはやがて社員のモチベーションや営業にも響きます。トップの意向が優先されると、自由な発想は制限されることになります。
それはやがて私生活にも浸透します。
結果として「とりあえず従っておけばいい」という面従腹背な姿勢に基づく消極的な企業文化が形成されていきます。
それは「変革」よりも「安定」を優先しようとすることになります。
フジテレビは変わらないのか?



※画像提供:富士電視台 Wei-Te Wong(Flickr)
そして1月の記者会見であった。
フジテレビにどのような公算があったのだろうか?
それを紐解くには、日枝体制の過去を振り返る必要がある。



2006年、ライブドア事件の一年後、日枝氏は窮地に立たされていた。
ライブドア事件によって日枝氏が自覚したのはフジテレビの経営と資本構造の未発達であった。先代たちのワンマン経営によってフジテレビは外圧に弱いメディア企業であることを自覚した。
そこにかみついたのは、フジサンケイグループの中で生き残っていた労働組合であった。1994年に結成された反リストラ産経労は、日枝体制が始まった時代から結成され、彼のワンマン体制を批判してきていた。
2006年に反リストラ産経労が参加する株主総会で、日枝氏は1月に行われた会見と似たようなことを行なった。
株主総会は日枝氏も出ないわけにはいかなかったが、日枝派と反リストラ産経労は紛糾したようだ。
その時も日枝氏は当時の社長の影に隠れ、暴政を敷いたという。
かつて労働組合を結成し、書記長にまで就任した日枝氏にとって「労組潰し」は容易であったのかもしれない。
鹿内一族が消えたフジテレビでは、労組を押さえ、管理権を手中に収めれば怖いことはないことを熟知していたのもまた日枝氏だけになった。
クーデター、華麗なるフジテレビの復活、ライブドア事件の解決、そして労組潰し、管理権の掌握。安倍内閣では一時期、桜の会で窮地に立たされたがそれでも逃げることができた。
日枝氏には「成功体験しかない」のである。
そんな彼が「現状維持バイアス」を持っていたとしても不思議ではない。