陸上自衛官が刃物を持って中国大使館の塀を乗り越えた。
この事件を、「一人の若者の異常な暴走」として片づける空気に、強い違和感を覚える。
問題は、暴走した当人だけではない。暴走を許した日本政府の危機管理の欠如と、その隙を逃さず自らのプロパガンダに利用する中国政府の二重基準、その両方こそが、本来なら私たちが直視すべき「主犯」である。
唾棄すべき日本の対応
まず、日本政府だ。
現役の幹部自衛官が、前日に都内で刃物を購入し、「大使に日本への強硬発言を控えるよう伝えたかった」「受け入れられなければ自決するつもりだった」と語りながら外国大使館に侵入した事実は、文民統制と危機管理の観点から見れば、極めて重い。
これは単なる建造物侵入事件ではない。
国家が独占する暴力装置の一部を預かる組織の人間が、個人的な政治感情と宗教的とも取れる使命感に駆られ、外交施設に向けて勝手に行動したという意味で、「システムの破綻」を示す警告である。
文民統制をできない内閣
にもかかわらず、政府の初動はどうか。
いつもの「誠に遺憾」「捜査に支障のない範囲で説明する」という、聞き慣れた言葉が並ぶだけだ。
自衛隊員の思想管理やメンタルケア、SNS空間を通じた過激なナショナリズムとの距離感など、本来なら政治の側が率先して検証すべき論点について、首相も防衛相も自ら踏み込もうとしない。
「個人の問題」「組織としては適切に対処していた」と言い張り、すべてを現場と本人に押しつけて幕引きを図ろうとする態度に、文民統制への自覚は感じられない。
現職自衛官が外国公館の塀を越えた直後に、政府が最優先でやるべきは、中国の顔色をうかがいながら言葉を選ぶことではない。
国会と国民に対して、「なぜこんなことが起きたのか」「自衛隊という組織を本当に統制できているのか」を、政治の責任として説明することだ。その核心に触れないまま、いつものように「再発防止に努める」とだけ言って逃げるのなら、この内閣には自衛隊の指揮権を預かる資格がない。
厚顔無恥な中国製プロパガンダ
一方、中国政府の対応も、別の意味で深刻だ。
中国外務省は、今回の事件を「日本の極右勢力がはびこる危険な動きの現れ」「日本の対中政策の悪影響が甚だしい」と位置づけ、国際社会に向けて日本批判を展開している。
中国メディアは「日本政府はいまだに最低限の謝罪すら行わない」と指摘し、日本側の対応を非難している。
日本政府の鈍い初動に批判の余地があるのは確かだとしても、
その台詞を言う資格が、中国政府にどこまであるのかは、別に検証されてよい。
2012年を忘れるな
記憶を2012年に戻してみよう。
尖閣諸島をめぐる緊張が高まる中、中国各地で大規模な反日デモが発生した。
北京や上海、広州などで、日本大使館・領事館への投石や侵入未遂が相次ぎ、日系スーパーや工場、飲食店、ディーラーに押し寄せた群衆がショーウィンドウを割り、車をひっくり返し、日本車だというだけで襲われた中国人オーナーまで出た。
日系企業は操業停止を余儀なくされ、多くの日本人駐在員が身の危険を感じて帰国した。
当時、日本政府は中国政府に対して、公館の安全確保、暴力行為への厳正な対処、損害への賠償を求めた。
しかし、中国側の反応はどうだったか。
「事態をつくり出した責任は日本側にある」「日本が歴史問題や領土問題で挑発した結果だ」と、責任を日本側に転嫁し、「中国側は謝る必要はない」とまで言い切った報道もある。
暴力デモを完全に容認していたと言うつもりはないが、自国で起きた日本公館や日系企業への実力行使に対して、中国政府は決して全面的な謝罪と自己責任の認定をしてこなかった。
外交官への対応でも同じ構図が見える。
北京で日本大使館員が公務中に中国当局に一時拘束され、日本側がウィーン条約違反だとして謝罪と再発防止を強く要求した件では、中国外務省は「日本の外交官が分不相応な活動に従事したため法令に基づき調査した」と主張し、「日本側の謝罪要求は受け入れない」と突っぱねた。
つまり、自国当局による外交官拘束については「正当な法執行だ」と言い張り、謝罪を拒否しているのである。
こうした前歴を持つ政府が、今回の自衛官事件では、途端に「国際法」「外交施設の不可侵」「大使館員の安全」を前面に掲げ、日本側の謝罪と処罰を世界に向けて声高に求めている。
この落差、つまり「自分たちがやったときは謝らないが、他国がやったときには最大限利用する」というダブルスタンダードを指摘せずに、「中国の怒り」をそのまま報じるだけでは、報道も外交もあまりに片手落ちだ。
だからと言って、「中国もやってきたのだから、日本の自衛官が大使館に侵入してもいい」と開き直るつもりは毛頭ない。
武器を持つ組織の一員が、個人的信条で外国公館に向かうことは、どの国であれ許されないし、日本はそこを曖昧にしてはいけない。
ただし、その「厳しさ」は、中国に対しても同じ基準で向けられるべきだ。
2012年に日本公館に石が飛び、日本企業が燃やされたときに、なぜ中国政府は今回日本に求めているような水準の謝罪と賠償を自らに課さなかったのか。その問いを投げかけることこそ、相手のプロパガンダに対抗する最小限の防御である。
幼稚な政府たち
結局のところ、今回の事件が照らし出したのは、「謝らない二つの政権」の姿だ。
日本政府は、自衛隊という武力組織の暴走の兆候に正面から向き合わず、責任を個人と現場に押しつけようとする。
中国政府は、自らの過去の暴力と国際法違反の疑いには沈黙を守りながら、他国の不祥事だけを拡声器で増幅し、「極右」「軍国主義」というレッテルを貼る。
そのどちらも、市民と現場を危険にさらしながら、政権の失策からは目をそらせようとしている点で、よく似ている。
暴走した自衛官の行為を批判することと、日本政府の危機管理の欠如や中国政府の二重基準を批判することは、矛盾しない。
むしろ両方を同時にやらなければ、私たちはまた同じような「暴走」と「利用」を繰り返すだけだろう。
必要なのは、どちらかの政府の側に立って相手を罵ることではない。
日本政府にも中国政府にも、「謝るべきときに謝れない政権は、国民を守る資格がない」と言い切る視点である。









