岸田文雄は自民党のフィクサーになれるのか?:自民党の現在地、増税メガネと呼ばれた男の政治的目標、宏池会の復活?自民党を見誤らないために有権者が考慮すべきことは?

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今、自民党の中で権力を掌握しつつあるのは誰か?

森喜朗?

麻生太郎?

菅義偉?

実際、自民党は2024年の裏金問題を契機に派閥が次々に解散したことで情勢が読みにくい結果となっている。現存する派閥の中では「麻生派」と呼ばれる「志公会」のみであるとされている。

かつて自民党最大派閥であった「清話会・安倍派」は保守傍流の中でも、鳩山一郎の十日会系の流れを汲む派閥であった。そして同じく傍流の春秋会系である「志帥会・二階派」とは共同戦線を張っていた。

その安倍派は2024年の衆議院議員総選挙前は96名という大所帯であった。同盟関係にある二階派は38名であり、保守傍流の鳩山一郎の流れを汲んでいる派閥は134名という規模であった。

しかし、総選挙後、安部派は59名、二階派は29名が残る形となった。

ちなみに森喜朗も「清和会・森派」を組んでおり、安倍派の基盤となっていた。

次に岸田文雄率いる「宏池会・旧岸田派」は吉田茂の流れを汲む保守本流であり、宏池会系である。大本は池田勇人の思想を支持している。同じく保守本流であり、吉田茂の流れは汲んでいるが「木曜研究会」や佐藤栄作の思想の影響を受けているのが「平成研究会・茂木派」であった。

特に「平成研究会・茂木派」は田中角栄率いる「木曜クラブ」竹下登の「経世会」の流れを汲んだ「数の権化」である。

次に「志公会・麻生派」であるが、これも旧岸田派と同じ宏池会系の流れを組んでいる。加えてこの宏池会系の中で加藤紘一の影響を受けた分派が谷垣禎一が率いる「有隣会」である。

そんな旧岸田派は、総選挙前の規模は46名と安倍派の半分であった。総選挙後、38名に減少したが安倍派と異なり、規模を維持した状態となった。

麻生派は54名から45名に減少、茂木派は44名から39名に減少した。

これらのことから保守本流の流れを汲む派閥の規模は122名と保守傍流を逆転している状態である。

加えて保守本流の宏池会系議員にとって有利なのは「志公会・麻生派」が派閥を解散していないということだ。つまり保守傍流と異なり、旧岸田派と麻生派は宏池会をいつでも機能させることができる。同じく保守本流の茂木派は、少なくとも傍流議員たちに危機感を感じた場合、すぐに合流することができる状態である。

そしてその裏で暗躍するのは、岸田前首相だろう。

目次

各派閥の歴史と現在の規模

ここで各系列の派閥がどう異なるのかを見て行きたい。

現在、保守本流

吉田茂ー宏池会系ー志公会・麻生派・45名

吉田茂ー宏池会系ー宏池会・旧岸田派・38名

吉田茂-木曜研究会系ー平成研究会・茂木派・39名

吉田茂ー宏池会系ー加藤紘一支持ー有隣会・谷垣グループ

保守傍流は

鳩山一郎ー十日会系ー清和政策研究会・安倍派・59名

鳩山一郎ー春秋会系ー志帥会・二階派・29名

その他は

旧のぞみ・旧無派閥連絡会系ー水月会系ー石破グループ

こうしてみると、現総裁の石破首相は派閥に属していなかったという点で不利な状況に立たされているといえる。

派閥解散において自民党は何が実現できたのか?

岸田文雄氏は「議員連盟の会合に人を集めやすくなった」と語っていた。派閥の関係上、政策立案が目的であっても自民党内の議員は党内対立を引き起こす懸念から他派閥の議員を参加させられなかった。

保守本流の規模としては貧弱だった旧岸田派にとって派閥解散は起死回生の一手であったことに間違いないだろう。派閥を解散したことで岸田前首相は、何の制約もなくあぶれた議員たちを再結集することができる。

石破首相が自派閥を持たないにも関わらず揺るがないのもまた、議員連盟や政策勉強会という新たなグループが台頭したことが影響を与えている。

岸田前首相が実行した派閥解散は、首相権力の強化にもつながったのだ。

また、政策に強い政党を形成することにもつながる。

派閥がなくなり、党内において活発な議論が行われ、若手議員の能力も中堅やベテラン議員と同じレベルまで底上げすることができれば、いずれ自民党の人事は「派閥の論理」ではなく「実力・能力主義」になるかもしれない。

効果は未知数であるが、現状の自民党は失われた政策本位の政治を実現するために動いているのは間違いないだろう。

派閥の論理という警戒を緩めてはいけない理由

しかし、その一方で「政策勉強会」が次の派閥になるという予想もある。そして、それは概ね外れではない。

そもそも脱派閥を訴えた自民党総裁選では、石破茂首相と、高市早苗氏、小泉進次郎氏がそれぞれ麻生派に支援要請を行う一幕もあった。

麻生氏は石破首相とは折り合いが悪い。麻生政権時代、辞任を要求したのは何を隠そう石破首相なのだ。

そのため、麻生派の選択肢には最初から石破茂の名前は存在しなかった。

高市早苗に入れるように」と麻生氏は派閥議員に指示した。

だが、大勢は無派閥の石破氏に傾いた。

推薦人工作

岸田前首相による選管委員の選出も大きな影響を及ぼした。通常、総裁選では選管委員に選出されると候補者の推薦人の資格がなくなる。つまり、出馬に必要な20人の推薦人確保に苦戦を強いることができるのだ。

岸田前首相は、まず高市早苗氏の推薦人になりそうな安倍派の議員、片山さつき、奥野信亮、宮下一郎を委員に加えた。黄川田仁志氏も21年の総裁選で高市早苗氏の推薦人となっていた。そのため、「出馬封じ」との批判もあったほどである。

次に推薦人も派閥色が色濃く反映されていた。

高市早苗氏の20人の推薦人のうち14名が「安倍派」であった。加えて推薦人議員のうち「裏金議員」とされているのは13名であり、他候補の中で一番問題とされていた議員たちで構成されていた。

林芳正氏は20人のうち、15人が「旧岸田派」であった。「安倍派」は一人、他は全て「無派閥」であった。この中に「裏金議員」はいなかった。

小泉進次郎氏は14人が「無派閥」であった。1名が「安倍派」と「麻生派」であり、「岸田派」も2名ほどいた。

河野太郎は18人が「麻生派」であった。裏金議員は0名であった。しかし、こうした派閥の利点を活かすことなく高市早苗氏と石破茂氏に敗北した。

そして肝心の石破首相の推薦人は「無派閥」が13名「二階派」が4名、1名ずつ「麻生派」、「茂木派」、「森山派」が存在した。裏金議員は0名であった。しかし、「無派閥」のうち7名は「水月会」のメンバーである。

これらのことからわかる通り、小泉進次郎氏が敗北し、林芳正氏が敗北し、茂木敏光氏が敗北した時点で「無派閥」と「岸田派」、「茂木派」は石破首相に票を投じることが想像に難くなかった。

麻生氏は宏池会系のプライドよりも、自らのプライドを優先した結果、高市早苗氏に投票し、他の保守本流との袂を分かった。清話会系の安倍派や二階派は当然ながら高市早苗氏に投票しただろう。

だが石破氏は第一回投票において46票しか議員票を得られなかった。対して小泉進次郎氏は75票と圧倒的多数であり、その次に高市早苗氏が72票と続いた。

これらは派閥の論理がかなり動いた結果であったといえる。

党員票という基本的支持

しかし、党員票が議員たちの結束を許さなかった

保守本流と保守傍流を包括する自民党は、党員や支援者もその二つの流れで分裂している状況である。石破氏はむしろ党員票に救われる結果となった。他の候補者たち、とりわけ小泉進次郎氏は61票のみであり、石破首相の108票、高市早苗氏の109票に遠く及ばなかった。

その後の決選投票では林氏、小泉氏、茂木氏、上川氏に投票した旧岸田派、茂木派、無派閥の連合が石破首相の誕生を支援した。

小泉進次郎氏は無派閥の影響を受けているため75票の内、大半が無派閥議員であったと推察できる。林芳正氏は旧岸田派の票を確実に得ているため、30票は固くなかっただろう。

上川氏にも20票が入っており、女性議員の支持が厚かった。そのため、「能力主義」を掲げた石破氏に大きく傾いたと推察できる。

茂木敏光氏も茂木派の人間を支援を受けているため、30票近くが石破首相に入る公算だった。

加えて、他の候補者の票も流れるならば勝算は十分であったに違いない。

結果として、石破勝利後に岸田文雄は笑い、麻生太郎は怒るという場面が総裁選の中継で映し出されたのは、自民党内の権力移行が事実上、達成されたことを現わしている。

つまり、キングメーカーとされた麻生太郎氏は敗北したのだ。

それは旧岸田派と茂木派の宏池会系と木曜研究会系(経世会系)の連携であったといえるだろう。彼らは、無派閥に近い石破氏のイメージが、無派閥議員の支持を容易に受けるだろうと予想した。そしてその予想は見事に的中した。

くすぶる派閥の論理

高市早苗氏の敗因は、派閥色を全面に出しすぎた可能性が高い。それによって無派閥議員は高市早苗氏の不支持に回ってしまったのだろう。また上川氏を支援していた女性議員たちの支持を得られなかったのも大きかった。高市氏の推薦人の中に女性議員は全くいなかったことからも、女性議員に不人気だったことが伺える(高市氏を支援するのは片山さつき議員くらいではないだろうか)。

こうした実態から、派閥解散後も緩やかな派閥はそれなりに機能していたことがわかる。

この派閥の論理がまたいつ牙を剥くかはわからない。

総裁選では結果として党員・党友に人気だった二人の候補が決選投票に進出した。しかし支持を拡大できなかった小泉氏が石破氏を押しのけて決選投票に加わっていれば、自民党支持者はそっぽ向いたに違いない。

キングメーカー岸田文雄の誕生?

総裁選では露骨な清和会潰しを展開した岸田前首相は、自民党の新たなキングメーカーといっても差し支えないだろう。

元々、自民党が2024年の衆議院議員総選挙で敗北するのは容易に予想できた。その時期に、自派閥出身の林芳正氏が総裁になっても、岸田氏には何のメリットもない。

だからこそ、自民党から嫌われている石破首相の誕生は、どの派閥にとっても防波堤となるだろう。麻生氏も最終的にはそれで納得した可能性がある。

そんな岸田氏の根幹にある思想は何だろうか?

それは『岸田ビジョン 分断から協調へ(講談社+α新書)』の中で伺える。

加藤の乱の生き残りとしての権力闘争術

岸田氏は何といっても加藤の乱において、加藤紘一と共に経世会と森喜朗内閣の倒幕を狙ったメンバーの一人であった。彼が首相として最終的に行った一連の党内工作は、この加藤紘一の影響が非常に大きいといえるだろう。

岸田氏の政治工作と思想は「宏池会の現実主義路線」と「加藤紘一を巡る自民党内での一連の権力闘争」が基軸となっている。

私たち宏池会は結成されてから今日まで、その名の通り、リベラルで自由な社会を目指し、権力には謙虚に向かい合ってきました。最も大切にしていることは「いま、国民が求めているものは何なのか」を問い続ける徹底した現実主義です。 『岸田ビジョン』p.201

宏池会の事務所を、アメリカ大使館の近くにあった日本自動車会館から大東ビルに移すことに決めたのです。宏池会を創生した池田勇人さんの時代からずっと日本自動車会館に置いてましたので、在籍が短い私でも引っ越しを聞いたときは一抹の寂しさを感じました。 『岸田ビジョン』p.214

伝統ある宏池会は、宏池会・加藤派と宏池会・堀内派と「二つの宏池会」が存在する事態となったのです。宏池会・堀内派は一度離れた日本自動車会館に事務所を戻しました。初日にビルの前に立って見上げると、「本来、あるべき場所に戻った」との感慨が湧いたものです。 『岸田ビジョン』p.223

こうした宏池会の理念を把握し、派閥の離合集散に動じずに宏池会系の主流派を維持してきた岸田氏はある意味で「宏池会の原理主義者」と評価することができるだろう。

加えて、そんな宏池会の権力闘争で岸田氏が学んだことが二つある。

勝負は勝たなければならない」しかし同時に、「勝ち負けは二の次で勝敗は抜きにして打って出る」。二律背反する、この勝負への要諦を教えてくれたのが、2000年11月20日のいわゆる「加藤の乱」です。 『岸田ビジョン』p.202

私は(加藤の乱の)一部始終を目撃することで、勝つためにはどんな策も駆使する、と言わんばかりの鎮圧側の執念や、一時は自民党から除名されることも覚悟した反乱側の矜持を目の当たりにしました…(略)…「勝負は勝たなければ意味がない」ーーーこれが大きな教訓です。 『岸田ビジョン』p.204

(加藤の乱の)当日二十日、古賀さんから電話がかかってきました。「大変だったな。悩んだろう。苦しんだろう。ここまで来たらもうお前たちの思うようにやれ。お前たちの好きにしろ」古賀さんはやさしい語り口ではありましたが、これは「見放された」と解釈すべきでしょう。古賀さんの後ろに幹事長の野中さんが控えているのは明らかです。選挙の公認権のある幹事長に歯向かったわけですから、除名や対立候補を立てられることも想像していました。ですが、蓋を開ければ、お咎めなし鎮圧の際は冷徹にそして老獪に攻め続け、権力の行使とはこのようにするのか、と痛感させられたと同時に、今後はどう生きるのかを考えさせられました。 『岸田ビジョン』p.220-221

つまり、岸田氏は「加藤の乱」の数少ない反乱側の経験者であり、かつ加藤紘一と山崎拓、古賀誠、野中広務の権力闘争を間近で目撃した一人であった。

そして彼が学んだのは、第一に「勝たなければ意味がない」ということ、そして反乱の芽はあらかじめ摘んでおき、反乱があったとしても報復はしないことであった。

それが結果として、石破内閣という防波堤を手に入れ、選挙という「正当な手段」で保守傍流の弱体化や清和会議員を粛正した

裏金議員問題で自民党は弱体化したように見えるが、旧岸田派や旧茂木派、そして麻生派の痛手はほぼなかった。むしろ伯仲国会間際になったことで優秀な議員が自民党に残る結果となったのである。

彼の権謀術数はどこまで含まれているのか?

清和会が弱体化したことでドミノ倒しのように安倍晋三元首相と関わりのある人物が失脚し続けている。支持基盤であった統一教会の排除、安倍派五人衆は勢力を削がれてしまい、森喜朗氏も病床に伏している。本流ではあるものの、岸田氏に従わない麻生氏は静かに動静を見守り続け、菅義偉元首相に至っては高齢による病気が疑われている。

岸田氏にとって厄介だった河野太郎氏も、高市早苗氏も、小泉進次郎氏も総裁選を機に地下での活動を続けている。しかしSNSで一時期人気であった河野氏の支持は完全に失われた。小泉進次郎氏も権力を持つ器なのかと疑問が呈されている。

そして森喜朗の盟友である日枝久氏が支配するフジテレビも大きく揺れている。

清和会と関係のあった人物たちが軒並みその勢力を削られているのだ。

岸田文雄はなぜ「中国」を重視するのか?

『岸田ビジョン』の中では岸田氏の外交思想にも触れられている。とりわけ広島県に縁のある彼は、原爆政策に関しては並々ならぬ本領を発揮した。

その結果が、オバマ大統領の広島訪問とG7サミットの広島開催であった。アメリカを敵に回してでも、広島サミットを開催したことからも、その執念深さがうかがえる。

宏池会は元々、親中派が多いイメージであるが、それは相違がない。

岸田氏は李克強と会談した際、大平正芳元首相との思い出話に花を咲かせたという。中国共産党の重鎮の中には、先代の宏池会議員の名前が上がるほど、その関係は深いといえる。

宏池会はアジア諸国を重視する路線を堅持している。だからといって領土紛争や慰安婦問題などとは中国と一線を画す。岸田氏は外務大臣時代、王毅外相との言葉の応酬で「領有権問題は存在しない」と断固とした姿勢を貫いている。

また岸田氏の狡猾さ・巧みさは中国にとって非常に脅威であった。

原子力発電所の処理水問題について日中関係が冷え込んだ際、インドネシアで開催されたASEANで岸田氏は李強首相と「立ち話」をしたと報じられた。

これは冷え込んだ日中関係が維持され続けていることを対外的にアピールする結果となった。日本に断固とした姿勢を取りたかった習近平政権にとっては大きな痛手であっただろう。まさか岸田氏が中国控室を見張っているとは誰も思わなかっただろうからだ。

もし日本と会談したことが反日感情高まる共産党員に知られれば、李強氏も苦境に立たされるかもしれない。

だからこそ処理水問題は翌年に劇的な終息を見せ、日本産水産物の全面緩和が中国側から発表された。外交戦における岸田氏の希少な勝利である。

そして岸田氏はアメリカと一定の距離を置く。日本はアメリカの「代理国」ではなく、市場経済体制の先進国として何ができるかを彼は問いかける。

宏池会はむしろ徹底した「アジア主義」のようである。そこには仏教や儒教、歴史的な中国文明への影響を受けた日本であるからこその共有できる価値観というものが存在するからだろう。

筆者は共産党独裁を維持する中華人民共和国を信用はしないが、中国四千年という歴史を継承してきた中国人の知恵と文化は信用に値すると考える。だからこそ党の独裁の打倒が喫緊の課題となるのだ。だが、現実主義を徹底するとそれは難しい。中共に対する一定の理解と配慮が必要となるだろう。

なぜ外国に税金をばら撒くのか?:岸田外交の狡猾さ

実際、岸田氏も石破内閣も海外に対する「バラマキ」と呼ばれる経済支援を打ち出し、多くの批判が出ている。しかしここでも岸田氏の外交術がいかんなく発揮されている。

なぜバラマキをするのか?

その是非はさておき、以下の興味深い記事を是非とも読んでほしい。

この記事からもわかるように「バラマキ」と評される岸田外交の特徴は、サプライチェーンの構築や資源の調達、対中経済強硬路線とも呼べる露骨な「中国封じ」である。

バングラデシュ政府は「インド-中東-欧州経済回廊(IMEC)」構想を本格化させている。このIMEC構想が実現することで、治安の悪化するソマリア沖、紅海、スエズ運河などの海域を迂回するルートを構築することが可能となる。目指しているのは海路での石油やその他の資源の輸入である。中国の影響力が存在する「一帯一路」を避けることも可能なのだ。

インドネシアに至っては東南アジア屈指の大国となりつつあることや人口増加による都市の整備などで中国と入札競争を繰り広げてきた。いわば日中の経済的植民地戦争の最前線である。

イラクは石油が取れる。しかし、現在、治安悪化によって原油生産は遅れている状況である。しかし、それは手つかずの石油がイラクにはまだ存在し、比較的安価で投資できることを意味しているのだ。

つまり、対象国の選定には日本自身の利益や目的が色濃く反映されている。さらに注意すべきは貸付、つまりローンが中心ということだ。資金提供先トップ5に限ってみると、イラク、インド、インドネシア向けはほぼ100%貸付だ。言うまでもなく、これら各国は利子をつけて日本に返済しなければならない。この点で日本は欧米の多くの国と異なる。「あげる」が中心、「貸す」は例外、というのが欧米の一般的パターンだからだ。これに対して、日本政府が2023年に外国に「あげた」のは約2,353億円で、海外への資金協力全体の約14%にとどまる。ちなみに、これは令和4年度予算の歳出(107兆5,964億円)の0.2%ほどだ。

日本の利益に繋がる先行投資によって、岸田氏は徐々に中国への経済的包囲網と日本経済の破綻阻止を狙っている。現に国は安定していれば破綻することが稀である。貸付を行なう上で国家ほど気前の良い取引相手はいないだろう。

本記事は、あくまでも状況と岸田前首相の言動、著作からの引用に基づく考察である。今後、ポスト石破に注目する上で岸田前首相の動向に注目されたい。

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この記事を書いた人

ほのぼの過ごしてるフリーライター。物語エッセイ、小説、時事記事などを書いてます。元リスク学研究員であり、現在情報コンサルにてインターネット・危機管理部門を担当。古書ECのプロジェクトを推進中。たまに俳句。積書が多く、横溝正史・京極夏彦が大好物。

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